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帯中津日子神(仲哀天皇) 品陀和気神(応神天皇)
息長帯比売神(神功皇后) |
当神社は約千百余年前第六十一代朱雀天皇の承平三年に氏子の守護神として宇佐八幡宮より勧請せられた古社でありますが、正徳五年火災にあい伝来の宝物、古文書等を焼失したが幸いに勧請年期等は災害を免れましたが、詳しい縁起は分かっておりません。
現在の神殿はその後江戸時代中期の享保六年四月当国太守松平安芸守吉長公の免許を受け用材を下賜し、九年十一月約三年半を費やして上棟されたものです。
拝殿は、慶応四年五月五日藩主浅野公の免許を受け斧始式を行ったところ前例により用材を下賜し、明治三年潤十月竣工を見るに至りました。 |
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伊邪那岐大神
伊邪那美大神 |
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本神社は第八十一代安徳天皇の養和元年平家滅亡の頃約八百年前紀州熊野本宮より勧請せられ榊山神社と相並んで鎮座し、町民崇敬の中心となっている神社です。
現在に残る「鶴が沢」の地名のように、当時この地には鴻鶴が数多く住んでおり、その端正な姿に祖先は長く目をみはったものでした。
ところが寛政十二年田植えの頃、たまたま鴻鶴が火縄をくわえて神前に飛び込み、神社は焼失してしまった。時に御霊神はやむなく紀州に飛び去り、神体はしばらく中絶の形となりました。
氏子の動揺一方ならず、その後紀州音無川市井という所に御移霊になっていることがわかり、同所より再びこの地に迎還しました。 |
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